「初天神」(津村節子)

生きているかぎり誰もが避けることのできない「老い」

「初天神」(津村節子)
(「日本文学100年の名作第9巻」)
 新潮文庫

父の他界により
介護から解放された幸世は、
友人・智子とともに
京都へのツアー旅行に参加する。
早くに母が亡くなった幸代は、
父の世話のために
婚期を逃していた。幸世は
ツアーに単独で参加している
七十くらいの女性が気になり…。

老境に差しかかった
女性の心象風景を綴った
津村節子の味わい深い短篇です。
ここには三人の女性の
生き方が紹介されています。

一人は幸世。
二十七歳で母が病死し、それ以後、
父の面倒を見て
六十歳を迎えてしまったのです。
父親に見切りを付けて
結婚に走る道もあったのですが、
わがままな父親を
見捨てられなかったのです(また父親も
そうさせてくれなかった)。

一人は智子。
自ら結婚を拒み、仕事を優先し、
六十歳で定年を迎えました。
彼女自身全く後悔のない人生を
送っています。
そして幸世はそんな彼女を
羨ましく思っているのです。

そしてもう一人は
「七十を少し廻っている女」です。
彼女がなぜ一人で
ツアーに参加していたのか?
「嫁は、私がいないほうがいいので、
 ツアーの申し込みをするんですよ。
 一人旅などしたくありません。
 私はもう疲れました」

幸世は「父に振り回されたまま
五十七歳で亡くなった母親の人生は
いったい何だったのだろう」と
振り返る割には、
「結婚に憧れたものの
六十歳まで独身だった私の人生は
何だったのだろう」とは
考えていません。
それでいながら独身を通した智子を
羨ましがっているのですが、
それは「結婚したかったのに
できなかった自分」と
比較してのことであり、
結婚できなかったことを
悔やんでいるのは間違いありません。

しかし、結婚したとしても
幸せな「老い」を迎えることは
また別問題であることに、
彼女は気づくのです。そして
「出掛けるまでは、
 旅行だけが目的だった。
 明日からは何をして過ごそうか、と
 幸世は考えていた」

本作品は、六十歳にして
自由を得ることができた幸世が、
これからの生き方を
考えはじめる物語なのです。

生きているかぎり
誰もが避けることのできない「老い」。
その中で自分の居場所を見つけていく
努力が必要なのでしょう。

さて、表題の「初天神」です。
作中のツアーの名称が
「冬の京都 初天神と名園めぐり」と
なっているのですが、
初天神」とは正月二十五日の、
その年の初めての
天満宮の縁日を指します。
そして「縁日」とは、
単に「天満宮に出店が並ぶ日」ではなく、
「有縁(うえん)の日」
「結縁(けちえん)の日」の略であり、
神仏と縁を結び、
御利益があることを願う日なのです。
幸世の今後の人生に
明るい希望を予感させる表題と
考えることができます。

一方で「初天神」は
古典落語の演目の一つでもあります。
父と息子が出かけるのですが、
ものを買ってくれるようせがむ息子を
疎ましく思う父親が描かれます。
ところが、
その父親もめっぽうわがままで、
息子が買った凧を上げるのに、
自分が夢中になってしまいます。
最後は「こんなことなら、親父なんか
連れてくるんじゃなかった」という
息子の冷ややかなぼやきで
幕を閉じます。
作者は幸世と父親の関係を、
それに擬えたものと考えられます。

分量的に短い作品なのですが、
いろいろなことを考えさせられました。
津村節子の逸品をご賞味あれ。

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